ぴょこりんブログ

裏垢です。

最近のごくごく個人的な話をします。

圧倒的令和ッ!!ぴょこりんクラスタ Advent Calendar 2019投稿記事です。

はじめに

クリスマスも近づいてきましたね。日が変わる位の時間になると、毎日皆さんの記事更新を楽しみにAdventarを眺めてしまうのですが、先日もそんな感じでわくわくしながら眺めていたら今まで全部埋まってたはずの枠が余っているのを発見してしまいました。

こんな時期に枠余りがあるところを邪悪な煽り手たちに見られてしまったら大変です。「人徳が無い」とか「KPI未達」とか言われ放題です。何事もなかったようにスマートに枠を埋め、クソ記事で書いていきましょう。いつだって僕はそうして来ました。

というわけでタイトルの通り、最近のごくごく個人的な話をしましょう。社会人博士課程進学の動機なんて話をしてみたいと思います。修士課程の反省、社会人になってからの変化に触れて、最後にじゃあどういった目的で進学したのか、という話をして終わりたいと思います。めんどくさいのでちゃちゃっと書きます。ポエム分高めです(ポエム分?)。

修士課程の反省

まずざっくり、社会人博士課程に進学するということは、(多くの場合)修士課程まで修了していて、博士課程に進学せず就職しているわけです。当時博士課程に進まなかったのに今更進学したいというからには、まずは修士時代について紐解いていく必要があるでしょう。

僕の修士課程における研究業績は散々なものでした。温情で修了させてもらったと言っても過言ではありません。当時の反省点を総括すると、

  • 初心者殺しの研究室 / ややブラック体質の指導教官を選んでしまったこと
    ⇒行動原理が「指導教官に怒られない/会話量最小化」になってしまった
  • 自身の能力不足
    • そもそも自頭(?)が足りないのでは
    • アイディアを思いついたとき、自分でパッと試作できない
    • 同期、諸先輩各位がつよつよで相対的にそう感じた

に尽きるのかなと。研究生活、行動面での切り口で言えば

  • 心と身体のケアにもっと気を付けてあげるべきだった
  • どうせひっくり返るパワポにあんなに時間を割くべきでなかった

あたりかなと。これらで生産性をあげて、むしろもっと能力開発に時間を充てるべきだったと今となっては感じています。

この段階で博士課程に進学しない理由はいうまでもないですが、

  • こんな出来の悪い学生が博士課程は無理
  • 早くこの界隈から逃げ出さないと心がもたない

なんて気持ちがありました。

就職してから思ったこと

まず、学生時代と比べて様々な変化が色々ありました。

  • 博士もピンキリ、学生時代観測した博士各位は超絶優秀勢と社会に出て気付く
    • 何故か多くの弊部門関係者が進学実績を持つ謎研究室の存在
    • 別に博士号持ちに引けを取らずに仕事ができている(気がする
  • 昔より手が動く、自信がついてきた
    • 継続的にプライベートでお勉強した結果、やれることの幅が広がった
    • 大体お勉強したことが1, 2年後に仕事で役に立つ、ヌルゲー
  • 健康管理をきちんとするようになった
    • 無理ができない、そういうのが必要な年になりました
    • 自分の賃金や一人暮らしで自由度があがった

趣味で仕事に関係ないお勉強を続けたことに関しては、間違いなく学生時に感じた能力不足が原動力になっていたと思います。

で、何がしたいんだっけ?

キャリアについて上司各位も結構心配してくれていて、お前は一体何になりたいんだ、ロールモデルになりそうな尊敬する人、目標となる人はいるか、みたいな質問をちょいちょいされるんですよね。そして答えられなくて困ってたりしたわけです。

最近読んだ本に、すとんと腑に落ちた記述があったので、ざっくり紹介します。

最高の遊びにはある種の軽さや結果に対する無頓着さがある。子供はひたすら絵を描くことに没頭するが、ひとたび絵が完成すると、それを飾ることも、見直すことも、ごみ箱に捨てることもしない。全く無頓着なのだ。

とかさ、

多くの人が動詞をすっ飛ばして名詞になりたがる。やるべきこともしないで先に肩書を欲しがるんだ。

みたいなね。

僕は何者かになりたいわけではなくて、ただ楽しいことに没頭したくて、そしてその結果にはあまり興味は無いのです。楽しさはプロセスの中にある、その過程に没頭することに価値がある。労働では妙な手続きの連続で本質的な過程に没頭できないのです。無価値で不自由なプロセスを乗り越えたあと、えらい人に「良いね」「頑張ったね」なんて言ってもらっても僕は何にも嬉しくないのです。僕はただ没頭できるものを見つけて没頭したいだけなのです。

別にそれは研究とは限らないけれど、研究も僕にとってはその有力な候補なのです。何故なら昔やりたくて、やってみて、できなかった、苦しんだことだから。もう一回やってみて、もしも前より良い感じだったら、それはとっても嬉しいなって。

というわけで何故博士課程に進学したのか

今年の10月から、社会人学生として某大学大学院の博士課程に在籍しています。

僕は修士課程において、研究をどうにかやってみたいと思ったけど、どうも上手にできませんでした。あれから月日は経ち、今ならもうちょいちゃんと研究ができるんじゃないかなと感じています。だからもう一回研究をしてみようと思いました。研究(動詞)が先、博士(名詞)はあとです。そのための学生、社会人博士課程です。

やりたいことをやるためといえば聞こえはいいですが、要は若かりし頃の未練の供養です。もう未来に可能性感じる年でも無いですし、積極的に未練を供養してもいいのかなと思っています。やってみて「やっぱりだめだった」という結果になるかもしれないし、「だめっぽいけど当時よりマシだからもうちょい頑張ってみる」という結果になるかもしれません。

でもそんな結果は大して重要じゃなくて、そのプロセスが楽しめるかどうか。そういう感じでやっていくのです。

以上です。